轻舟已过万重山

撸起袖子加油干

罗一舟 时尚健康 インタビュー 日本語訳

 

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2021年9月28日に公開された时尚健康のインタビューを日本語に訳しました。勉強中のため、意訳誤訳が含まれることをご了承ください。

元のインタビューはこちらから。

mp.weixin.qq.com

 

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罗一舟はとても典型的な“今の世代の人”だ。彼が歩む道は選ばされたものではなく、自分の思うように理想を抱くことができる。青春というものがどんな姿かに関わらず、彼の道のりは決して平らではなく、輝かしいことも荒波に揉まれることもあった。

鏡の前でスタイリングを待つ罗一舟の目線は胸元に留められた“ピンクリボン”のピンバッジに向けられていた。その少し前、彼はここ10年の“ピンクリボン”がテーマの表紙を驚きと共に眺めていた。

「芸能人になったことで、僕も多くの人に公益活動や自身の健康に目を向けるよう呼びかける機会ができました」

健康に関する公益活動において、彼が重要視していたのは人と人との温もりだった。男性として「ピンクリボン」に関して声を上げるとき、彼は多くの人がより家庭内の女性、特に母親に関心を向けられることを願っている。「もし僕のこれまでの成長の中で1番影響を与えた人はと問われれば、当たり前のようにお母さんだと答えるでしょう。」

 

母は自律的で健康な女性ですf:id:xuxugecai:20220512001729j:image

9歳の時、罗一舟は母親に連れられて軍藝の公演を観に行った。「軍隊をテーマにした踊りは、一般的なバレエやモダンダンス、古典舞踊、民族舞踊とは違う独特の魅力があります。」当時の彼に細かいことは理解できておらず、ただ、男の子でもこんな風に踊ることができるんだ、と思ったのだった。

「のちに軍隊をテーマにした『步调一致』という作品を観たんです。軍の行進のようにとても揃った動きでした。少し今のボーイズグループのダンスと似ているのは、どちらもすごくパワフルな踊りであるということ。」彼は瞬く間にこの踊りの虜になった。舞踊を習い、軍服を着たい。それは少年の夢となり、その頃から彼は毎週土曜日に午前はテコンドーを、午後は舞踊を習うようになった。

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11歳の時、軍藝(人民解放軍藝術学院)に合格した彼は1人で北京にいくことになる。心配した母親は行く直前の彼の荷物に食べ物をたくさん詰めたそうで、彼は食べ終わるのに2週間もかかったとか。「お母さんは僕がちゃんとご飯を食べなくて背が伸びなくなることを心配してたんです。長期休みに実家に戻るとありとあらゆる美味しい物を栄養バランスにとても気を遣いながら作ってくれました。時折北京へ僕に会いに来た時も、出来る限りで食の方面から僕の栄養を補ってくれました。」

軍藝の生活は軍隊に似ており、先生たちはしっかりとみんなの面倒をみてくれる。普通の寄宿学校と違うのは軍的管理が行われていること。

毎朝早起きをしてのランニング、授業前の行進、食事前の合唱、毎日の掃除と豆腐型に畳む布団......これらはどれも罗一舟の自律的な習慣となった。「今でも僕の部屋には余分な物がありませんし、外出時の荷物もとても簡潔です。僕はこれを优良作风(良好な習慣)と呼んでいます。」

想うというのは永遠のテーマである。罗一舟は自分が家が恋しいだけではなく両親が恋しいことをちゃんとわかっていた。「自由な生活を求めていたわけでもないんです、僕がここ(軍藝)へ来たのは舞踊を勉強するためですから。」当時は携帯もなく、当たり前だが毎日公共の電話から家に電話をかける訳にもいかなかった。行き場のない気持ちを抱えたときは、空き教室を探して練習をする。脚上げを前に200回、横に200回、気持ちは全部練習して消化していった。

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自立心と責任感もこの頃に培われたものだ。军艺に入った5年目、彼は文工団の一般兵部隊で過ごすことになる。「当時は実戦と生活を間近で、という目的でしたが、一般兵の方々と過ごすなかでそうした志はより強いものになりました。」春節の時、彼は自ら宿直を申し出た。「宿直室にいなければ、両親とビデオ通話をしたりということもできたんですけど、僕はそうしなかったんです。」

収入を得るようになってから、罗一舟は母親にプレゼントをするようになったが、スキンケア用品は男の子にとって勉強が必要な分野だった。「僕もあまり知識があるわけじゃないので、いいな、と思ったものを贈っていました。使った乳液がよかったらそれを贈るとか、なので男性向けか女性向けかを間違えていたこともあります。」小さい頃は母親が日々を気にかけていたものが、今は彼がたびたび電話をして母親を気にかけるようになった。何気ない飼い猫たちの話だったとしても、とてもあたたかいものだ。

彼は普段のWeChatでのやり取りの中で、母親が充実した暮らしをしている様子をみて安心しているという。「お母さんはとてもスタイル維持に気を使っていて、日常的に運動やダンスをしているし、食事も厳格に管理しています。時にはハイキングに行くんですけどかっこいいんですよ、専門的なアウトドア用の装備でいろんな場所を楽しんでいるみたいです。」そんな自律的で健康的な母親に罗一舟は「気にかけること以外に、僕ができる1番の孝行はちゃんと気分の面倒を見て、彼女の充実した生活の邪魔をしないことだと思います。」と語った。

 

志は遠くに

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罗一舟と両親の交流の中で1番多いのは自分の舞台を見せることだという。「できる限り彼らが誇りに思えることをする、というのが僕にとってはとても大切なことです。両親も僕の舞台をみたときには喜んで連絡をくれます。」少し前に罗一舟は『登场了洛阳』で汉唐舞を踊った。西域の王子が唐の姫君に捧げたもので、華麗で力強さに溢れたものだった。

「小さい頃から歴史が好きだったので、洛陽に行くことができるのはとても嬉しかったです。」罗一舟が小さい頃に読んでいた『三国志演義』や『春秋時代』の絵本はハードカバーの愛蔵版だった。「分厚くてまるで煉瓦みたいでした。毎晩わからなかったところをお父さんと話したりして、歴史や詩を知ることがとても楽しかったです。」

以前、週末や長期休みになると父親は車で罗一舟を連れて遊びに出かけた。寧夏から少し北に行けば内モンゴルで、渋滞に巻き込まれることもなく広々とした草原にたどり着くことができる。「他にも陝西やチベット、四川のカンゼ、甘粛の酒泉などにも行ったことがあります。衛星の発射基地を見たり、月牙泉の畔でラクダに乗ったりしました。」免許を取得してから彼は密かに計画を立てた。「草原に、若爾蓋やアルシャー盟、それかウイグルの那拉提に行きたいんです。」

一時期、罗一舟は遊牧民族の文化にハマり、関連したドラマをみたり、チンギスハンの本を読んだりしていた。「民族文化に関するものが好きなんです。西夏王陵に関する文章を読んだり、石画をみたり。シルクロードには数多くの石窟があります。どれもとても大きくて、人間ががとても小さい存在であることを教えられるんです。以前カンゼで撮影をしていたとき、川が流れる街だったんですが、夜になると山々がライトアップされて、まるで大きなタンカ(唐卡)のような景色になるんです。美しさに時が止まったようでした。」

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罗一舟にとってさまざまな場所を訪れることはとても大切なことだ。異なる風景が彼に与える影響はとても大きい。それは小さい頃重慶の祖父母の家を訪れた時、西北部で育った男の子が初めて体験した南部の霧の立ち込める気候や、秋に手編みのパジャマで街を歩いているおじさんおばさんたち、冬は電気毛布を使わないと布団が湿ってしまうこと、西北は酸辣に対して重慶の麻辣はまた違った味だと知ったように。

罗一舟はずっと両親は自分より颯爽としていると思っている。どこにいるのかと尋ねると旅行じゃなければどこかで写生をしているという両親。父親はよく写生で描いた絵を見せてくれるのだという。「父はいい場所を見つけるとそこに車を停めて写生を始めるんです。僕は出来る限り両親に心配をかけないようにして、彼らが自分自身の生活を楽しめるようにしたい。」舞踊を学ぶようになって罗一舟は異なる文化同士でも共通点を持つことに気づいた。ダンサーとしても歌手としても、異なった文化を知り自分の中にそれを積み重ねることが必要なのだ。

「舞踊を学ぶというのは身体の基礎をつくり、技術を磨くということでもありますが、それだけでは前宙も後宙もただの技術の組み合わせにすぎません。本当に作品を創り上げるというのは技術を表現のために使うことであり、技術を見せびらかすことではないのです。表現者は自分がどのような動機で、何を目的にパフォーマンスするのかをしっかりと理解していなければなりません。そうでなくてはそのパフォーマンスは軸のないものになってしまいます。」

 

運動が好きな罗一舟

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Q.どのような経緯でクライミングを好きになったのですか?

A.以前寧夏のテレビ局の番組で司会をしたことがあるのですが、その時にクライミングに触れる機会があって、すぐに興味を持ちました。長いこと続けていますが、専門的にやっているわけではなく、ただ好きだから趣味として、という感じです。命綱をつけ、手でしっかりと掴み、時には弾みをつけたりジャンプしたりしながら、一歩一歩次の着地点を探すというのはとても趣のあることです。

Q.長く舞踊を続けてきた後も特別にトレーニングをしたりする必要がありますか?

A.基本的には目的を持った無酸素運動をしています。特にダンサーとしては体幹は必ず鍛えなければなりません。難易度の高い技をする時、例えば跳ねる動きが入っているものなどは必ず鍛えられた体幹によって支えられている必要があります。ジムに行ってダンベルを挙げたりする必要はありませんが、練習室で特定のダンスの動きをすることで必要な部分の筋肉を鍛えています。こっちの方が僕にとっては重要です。

Q.自律はあなたの生活のキーワードになっていますか?

A.そうですね、それは僕たちの优良作风(良好な習慣)です。どこにいたとしても練習を欠かすことはありません。大学に入ってからは毎朝台詞と声楽、そして身体の3種類をトレーニングしていました。ダンサーとしては、大きな筋肉はあってもなくても良いけれど、余分な贅肉は絶対にあってはいけないものです。それは自分に対する怠慢だと思います。

Q.軍舞から今のボーイズグループのダンスという過程の中で、過去の経験が役に立ったことはありますか?

A.実は軍舞はコンテンポラリーダンスに当てはまるのですが、特殊性も持ち合わせています。多くの動作__例えば顔を上げ胸を張り顎を引くという動きは軍事訓練からきています。軍舞のスタイルは常に上を目指すとても熱いものです。ボーイズグループのダンスのパワーが強い部分や、カル群舞などの感覚は馴染み深いものです。ダンスにおいて力強くかっこいいものか柔らかく美しいものかということを区別する必要はなく、それは総合的なパフォーマンス方法であり、僕もまだ学んでいる最中です。

Q.集団生活があなたに与えたものはなんですか?

A.軍藝での生活は僕に規則を守ることの必要性や、生活する上では自分のことばかりではなく、それ以上に他者のことを考慮しなければならないということ、そして他人に迷惑をかけないためにどうするか、という考え方で全ての問題の解決方法を考える必要があることを教えてくれました。

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2022.5.11 yang(@xuxugecai)