轻舟已过万重山

撸起袖子加油干

罗一舟 2022年度中央戯劇学院 卒業生代表挨拶 日本語訳

 

2022年6月30日に行われた中央戯劇学院卒業式の卒業生代表挨拶を日本語に訳しました。勉強中のため、意訳誤訳が含まれることをご了承ください。

原文はこちらから。

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敬愛なる先生方、親愛なる学生のみなさん、こんにちは。2018年度話劇映像演技専攻学部生の罗一舟です。今まで一緒に過ごしてきた2022年度の卒業生を代表して挨拶を述べることが出来ることをとても嬉しく、光栄に思います。

これまでを振り返ったとき、入学した際の軍事訓練の様子を今でも鮮明に思い出すことが出来ますし、河辺での朝練はまるで今日のことのようで、教室でのリハーサルも終わったばかりに思えます。そして、劇場での舞台は期待と感動に満ちていました。これらはどれも美しくかけがえのない思い出であり、僕たちが未来で奮闘する際の勇気となるでしょう。これらは信頼であり、熱意であり、芯の強さであり、未来に対する自信でもあります。
1938年の延安安魯芸術学院から1950年の中央戯劇学院の創立、そして今日の新時代の中戯に至るまで、全ての中戯人が革命精神を継承し、求真、創造、至美の校訓のもと研鑽を重ね、特色ある世界一流の芸術学校を創り上げてきました。これは僕たちにとっても一生涯の誇りとなるでしょう。
新世紀に生まれたはじめての大学卒業生として、「強国建設に我あり」というのは避けることのできない責任であり、必ず達成させなければならない時代の使命です。明日、この社会で最も若い文化芸術に携わる社会人として、希望を持って行動するだけではなく、自信をもっている必要があります。
「広い視野と寛容な心をもつ」明日、学生だった僕たちは、中戯で一番若い先輩になります。これからの実践の中で、僕たちは足をしっかりと地につけ、頭を星々の高みにおくだけでなく、文化に対する揺るぎない自信を持つ必要があり、文化への教養を深め、学び得た精神を少しずつ社会に還元し、文化に対する自信を継承していかなければなりません。先程の言葉は新時代の文化芸術に携わる者に対する呼びかけであり使命であるだけでなく、芸術表現における統一的な価値観であり、要であるべきです。
鳳が風に乗り九万里を飛ぶように、高い理想を持ちましょう。僕たちは前を向いてひたむきに、これからの道を歩んで行かなければなりません。試練を乗り越え、落ち着いた心で、深い文化教養のもとに創られた優秀な作品を用いて良い評価を勝ち取り、成長していくべきなのです。

時は流れていきます。香ばしい匂いを漂わせていた食堂の干锅はまだ変わらずにあるのでしょうか。あの年に生まれた白鳥は無事に大きくなったでしょうか。道具室の僕が目印をつけた道具たちはまた誰かに借りられているのでしょうか。図書館にある僕が愛読していた本たちは、またどれほどの後輩たちに愛されているのでしょうか。
Covid-19の影響を受け、僕はもう長いこと愛すべきキャンパスに帰ることができていません。どれほど画面を飛び越えて、尊敬する先輩と抱擁を交わしたいか、どれほど教室で皆と夢を語り合いたいか、どれほどあの、小さな種をこぼしただけでも芽が出る、小さな苗を植えただけで大きな木に育つ場所__中戯に帰りたいか、言葉になりません。

今、別れを告げる時、最も名残惜しいのは先生、あなたです。僕たちの芸術表現の基礎を築いてくださったこれまでのご指導に、僕たちに与えてくれた気遣いに心から感謝しています。
出会いがあれば旅立ちもあります。感謝の気持ちを胸に、2022年度卒業の皆さん、共に旅立ちましょう!
ありがとうございました。

 

 

 

2022.7.1 yang(@xuxugecai)

罗一舟 时尚健康 インタビュー 日本語訳

 

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2021年9月28日に公開された时尚健康のインタビューを日本語に訳しました。勉強中のため、意訳誤訳が含まれることをご了承ください。

元のインタビューはこちらから。

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罗一舟はとても典型的な“今の世代の人”だ。彼が歩む道は選ばされたものではなく、自分の思うように理想を抱くことができる。青春というものがどんな姿かに関わらず、彼の道のりは決して平らではなく、輝かしいことも荒波に揉まれることもあった。

鏡の前でスタイリングを待つ罗一舟の目線は胸元に留められた“ピンクリボン”のピンバッジに向けられていた。その少し前、彼はここ10年の“ピンクリボン”がテーマの表紙を驚きと共に眺めていた。

「芸能人になったことで、僕も多くの人に公益活動や自身の健康に目を向けるよう呼びかける機会ができました」

健康に関する公益活動において、彼が重要視していたのは人と人との温もりだった。男性として「ピンクリボン」に関して声を上げるとき、彼は多くの人がより家庭内の女性、特に母親に関心を向けられることを願っている。「もし僕のこれまでの成長の中で1番影響を与えた人はと問われれば、当たり前のようにお母さんだと答えるでしょう。」

 

母は自律的で健康な女性ですf:id:xuxugecai:20220512001729j:image

9歳の時、罗一舟は母親に連れられて軍藝の公演を観に行った。「軍隊をテーマにした踊りは、一般的なバレエやモダンダンス、古典舞踊、民族舞踊とは違う独特の魅力があります。」当時の彼に細かいことは理解できておらず、ただ、男の子でもこんな風に踊ることができるんだ、と思ったのだった。

「のちに軍隊をテーマにした『步调一致』という作品を観たんです。軍の行進のようにとても揃った動きでした。少し今のボーイズグループのダンスと似ているのは、どちらもすごくパワフルな踊りであるということ。」彼は瞬く間にこの踊りの虜になった。舞踊を習い、軍服を着たい。それは少年の夢となり、その頃から彼は毎週土曜日に午前はテコンドーを、午後は舞踊を習うようになった。

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11歳の時、軍藝(人民解放軍藝術学院)に合格した彼は1人で北京にいくことになる。心配した母親は行く直前の彼の荷物に食べ物をたくさん詰めたそうで、彼は食べ終わるのに2週間もかかったとか。「お母さんは僕がちゃんとご飯を食べなくて背が伸びなくなることを心配してたんです。長期休みに実家に戻るとありとあらゆる美味しい物を栄養バランスにとても気を遣いながら作ってくれました。時折北京へ僕に会いに来た時も、出来る限りで食の方面から僕の栄養を補ってくれました。」

軍藝の生活は軍隊に似ており、先生たちはしっかりとみんなの面倒をみてくれる。普通の寄宿学校と違うのは軍的管理が行われていること。

毎朝早起きをしてのランニング、授業前の行進、食事前の合唱、毎日の掃除と豆腐型に畳む布団......これらはどれも罗一舟の自律的な習慣となった。「今でも僕の部屋には余分な物がありませんし、外出時の荷物もとても簡潔です。僕はこれを优良作风(良好な習慣)と呼んでいます。」

想うというのは永遠のテーマである。罗一舟は自分が家が恋しいだけではなく両親が恋しいことをちゃんとわかっていた。「自由な生活を求めていたわけでもないんです、僕がここ(軍藝)へ来たのは舞踊を勉強するためですから。」当時は携帯もなく、当たり前だが毎日公共の電話から家に電話をかける訳にもいかなかった。行き場のない気持ちを抱えたときは、空き教室を探して練習をする。脚上げを前に200回、横に200回、気持ちは全部練習して消化していった。

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自立心と責任感もこの頃に培われたものだ。军艺に入った5年目、彼は文工団の一般兵部隊で過ごすことになる。「当時は実戦と生活を間近で、という目的でしたが、一般兵の方々と過ごすなかでそうした志はより強いものになりました。」春節の時、彼は自ら宿直を申し出た。「宿直室にいなければ、両親とビデオ通話をしたりということもできたんですけど、僕はそうしなかったんです。」

収入を得るようになってから、罗一舟は母親にプレゼントをするようになったが、スキンケア用品は男の子にとって勉強が必要な分野だった。「僕もあまり知識があるわけじゃないので、いいな、と思ったものを贈っていました。使った乳液がよかったらそれを贈るとか、なので男性向けか女性向けかを間違えていたこともあります。」小さい頃は母親が日々を気にかけていたものが、今は彼がたびたび電話をして母親を気にかけるようになった。何気ない飼い猫たちの話だったとしても、とてもあたたかいものだ。

彼は普段のWeChatでのやり取りの中で、母親が充実した暮らしをしている様子をみて安心しているという。「お母さんはとてもスタイル維持に気を使っていて、日常的に運動やダンスをしているし、食事も厳格に管理しています。時にはハイキングに行くんですけどかっこいいんですよ、専門的なアウトドア用の装備でいろんな場所を楽しんでいるみたいです。」そんな自律的で健康的な母親に罗一舟は「気にかけること以外に、僕ができる1番の孝行はちゃんと気分の面倒を見て、彼女の充実した生活の邪魔をしないことだと思います。」と語った。

 

志は遠くに

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罗一舟と両親の交流の中で1番多いのは自分の舞台を見せることだという。「できる限り彼らが誇りに思えることをする、というのが僕にとってはとても大切なことです。両親も僕の舞台をみたときには喜んで連絡をくれます。」少し前に罗一舟は『登场了洛阳』で汉唐舞を踊った。西域の王子が唐の姫君に捧げたもので、華麗で力強さに溢れたものだった。

「小さい頃から歴史が好きだったので、洛陽に行くことができるのはとても嬉しかったです。」罗一舟が小さい頃に読んでいた『三国志演義』や『春秋時代』の絵本はハードカバーの愛蔵版だった。「分厚くてまるで煉瓦みたいでした。毎晩わからなかったところをお父さんと話したりして、歴史や詩を知ることがとても楽しかったです。」

以前、週末や長期休みになると父親は車で罗一舟を連れて遊びに出かけた。寧夏から少し北に行けば内モンゴルで、渋滞に巻き込まれることもなく広々とした草原にたどり着くことができる。「他にも陝西やチベット、四川のカンゼ、甘粛の酒泉などにも行ったことがあります。衛星の発射基地を見たり、月牙泉の畔でラクダに乗ったりしました。」免許を取得してから彼は密かに計画を立てた。「草原に、若爾蓋やアルシャー盟、それかウイグルの那拉提に行きたいんです。」

一時期、罗一舟は遊牧民族の文化にハマり、関連したドラマをみたり、チンギスハンの本を読んだりしていた。「民族文化に関するものが好きなんです。西夏王陵に関する文章を読んだり、石画をみたり。シルクロードには数多くの石窟があります。どれもとても大きくて、人間ががとても小さい存在であることを教えられるんです。以前カンゼで撮影をしていたとき、川が流れる街だったんですが、夜になると山々がライトアップされて、まるで大きなタンカ(唐卡)のような景色になるんです。美しさに時が止まったようでした。」

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罗一舟にとってさまざまな場所を訪れることはとても大切なことだ。異なる風景が彼に与える影響はとても大きい。それは小さい頃重慶の祖父母の家を訪れた時、西北部で育った男の子が初めて体験した南部の霧の立ち込める気候や、秋に手編みのパジャマで街を歩いているおじさんおばさんたち、冬は電気毛布を使わないと布団が湿ってしまうこと、西北は酸辣に対して重慶の麻辣はまた違った味だと知ったように。

罗一舟はずっと両親は自分より颯爽としていると思っている。どこにいるのかと尋ねると旅行じゃなければどこかで写生をしているという両親。父親はよく写生で描いた絵を見せてくれるのだという。「父はいい場所を見つけるとそこに車を停めて写生を始めるんです。僕は出来る限り両親に心配をかけないようにして、彼らが自分自身の生活を楽しめるようにしたい。」舞踊を学ぶようになって罗一舟は異なる文化同士でも共通点を持つことに気づいた。ダンサーとしても歌手としても、異なった文化を知り自分の中にそれを積み重ねることが必要なのだ。

「舞踊を学ぶというのは身体の基礎をつくり、技術を磨くということでもありますが、それだけでは前宙も後宙もただの技術の組み合わせにすぎません。本当に作品を創り上げるというのは技術を表現のために使うことであり、技術を見せびらかすことではないのです。表現者は自分がどのような動機で、何を目的にパフォーマンスするのかをしっかりと理解していなければなりません。そうでなくてはそのパフォーマンスは軸のないものになってしまいます。」

 

運動が好きな罗一舟

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Q.どのような経緯でクライミングを好きになったのですか?

A.以前寧夏のテレビ局の番組で司会をしたことがあるのですが、その時にクライミングに触れる機会があって、すぐに興味を持ちました。長いこと続けていますが、専門的にやっているわけではなく、ただ好きだから趣味として、という感じです。命綱をつけ、手でしっかりと掴み、時には弾みをつけたりジャンプしたりしながら、一歩一歩次の着地点を探すというのはとても趣のあることです。

Q.長く舞踊を続けてきた後も特別にトレーニングをしたりする必要がありますか?

A.基本的には目的を持った無酸素運動をしています。特にダンサーとしては体幹は必ず鍛えなければなりません。難易度の高い技をする時、例えば跳ねる動きが入っているものなどは必ず鍛えられた体幹によって支えられている必要があります。ジムに行ってダンベルを挙げたりする必要はありませんが、練習室で特定のダンスの動きをすることで必要な部分の筋肉を鍛えています。こっちの方が僕にとっては重要です。

Q.自律はあなたの生活のキーワードになっていますか?

A.そうですね、それは僕たちの优良作风(良好な習慣)です。どこにいたとしても練習を欠かすことはありません。大学に入ってからは毎朝台詞と声楽、そして身体の3種類をトレーニングしていました。ダンサーとしては、大きな筋肉はあってもなくても良いけれど、余分な贅肉は絶対にあってはいけないものです。それは自分に対する怠慢だと思います。

Q.軍舞から今のボーイズグループのダンスという過程の中で、過去の経験が役に立ったことはありますか?

A.実は軍舞はコンテンポラリーダンスに当てはまるのですが、特殊性も持ち合わせています。多くの動作__例えば顔を上げ胸を張り顎を引くという動きは軍事訓練からきています。軍舞のスタイルは常に上を目指すとても熱いものです。ボーイズグループのダンスのパワーが強い部分や、カル群舞などの感覚は馴染み深いものです。ダンスにおいて力強くかっこいいものか柔らかく美しいものかということを区別する必要はなく、それは総合的なパフォーマンス方法であり、僕もまだ学んでいる最中です。

Q.集団生活があなたに与えたものはなんですか?

A.軍藝での生活は僕に規則を守ることの必要性や、生活する上では自分のことばかりではなく、それ以上に他者のことを考慮しなければならないということ、そして他人に迷惑をかけないためにどうするか、という考え方で全ての問題の解決方法を考える必要があることを教えてくれました。

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2022.5.11 yang(@xuxugecai)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

罗一舟 ELLEMEN新青年 インタビュー 日本語訳

 

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2021年8月16日に公開されたELLEMEN新青年のインタビューを日本語に訳しました。勉強中のため、意訳誤訳が含まれることをご了承ください。

元のインタビューはこちらから。

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罗一舟は自分自身のことを“あまり面白みのない、つまらない”人間だという。

2000年生まれ、幼い頃から军艺にて舞踊を学び、95式ライフルの組み立てはクラスで1番、専攻を変え中戏の演劇科に合格......彼の経歴はどうあがいても“つまらない”や“面白みのない”とは結びつかない。

だけど罗一舟は確かに普通の若者とは少し違う。

彼はゲームがあまり好きではない。「みんなが遊ぶ時は一緒に軽く遊びますが、普段はあまり興味もありません。どうしてもというのなら、昔からある三国杀とか...旅行青蛙も悪くないです。」彼は街に出かけることも好きではない。「街に行くという行為が僕にとってはすごく疲れることです。その過程はややこしくて面倒に思います。」しかし彼は山に行き老人と太極拳をすることがとても好きだという。「太極拳を習ったことがあるわけじゃないので、お爺さんの動きを真似していくだけなんですが、それはとてもリラックスできる時間です。」

彼はとても素朴で謙虚であり、私たちが“今年1番HOTな若手芸能人”という肩書きに持つイメージとは少し離れている。

 

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撮影当日北京は珍しいほどの豪雨に見舞われた。交通網は大きく乱れ、罗一舟は予定していた9時の10分ほど前に到着したが、多くのスタッフが足止めをくらい、500㎡ほどのスタジオはがらんとしていた。彼は何かを要求することもなく_朝食もすでに済ませていた_メイクルームで静かに撮影が始まるのを待っていた。

天候の影響を受けてスタジオのセットに遅れが生じ、私たちはインタビューを前倒しで行わざるを得なかったのだが、罗一舟はとても協力的で、不可抗力に対する不満ひとつ漏らさなかった。

インタビューが始まる前、彼は机に置いていた厚い茶色の手帳を手に取った。手帳には事前に共有した質問の概要に対する回答の要点がびっしり3枚にわたって綴られていた。

彼は姿勢を正し、軽くメモに目を通すと、咳払いをして「ひとつ目の質問の答えは__」

みんなが笑って、気まずい空気は跡形もなく消え去った。

私が「それではインタビューを始めたいと思います。準備はいいですか?」と聞くと

彼は「はい」と答えて、メモをしまった。

彼は準備していた回答ではなく、1番リアルな自分を私たちに教えてくれた。


1.好きなことについて
ジブラーンは著作の中で”もしあなたが愛を仕事にすることができたのなら、あなたは自分と他人や世界ををしっかりと繋げることができる。なぜ愛を仕事にするかって?……愛を種として撒き、喜んで収穫する、収穫した果実があなたの愛する人のためだけにあるかのように“と述べた。

罗一舟はまさにこれを体現している。

“内卷”の激しいこの時代に“好きなことを仕事にする”というのは一部の人の“特権”である。そして罗一舟はその特権を手にしている。彼はこのことについて心から感謝するように「僕は恵まれていると思います、ステージは僕の好きなことで、僕は今自分が好きなことをやっているし、それは仕事でもある」と言った。

“幸運”というのはいささか抽象的な名詞だし、芸術系の仕事をする人間はそれを宿命だと語ることも好みがちだが、罗一舟はとても現実的だ。彼は”自分はこの仕事をやるために生まれてきた“とは思っていないのだ。罗一舟は幼い頃から様々なことに興味を持っていて、テコンドーを習ったこともあれば、ランウェイを歩いたこともあるし、司会を務めたこともある、そしてそれと同時に舞踊を学んでいた。最終的に彼は舞踊を心から愛するようになった。「両親はとても応援してくれたし、学校で専門的に学ぶ機会を与えてくれました。学ぶ過程、ステージに上がる過程、そしてパフォーマンスをする度、僕はますます踊ることが好きになったんです。」

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そして罗一舟は自分に才能があるとも思っていない。それどころか彼は才能だけでは優秀な舞台を生み出すこともできないと言う。「何かをしっかりと成し遂げたいのなら、必ず時間をかけて努力して研鑽を積む必要があります。舞台上で表現するひとつひとつは練習室での練習が基礎になっているべきです。実際に努力してこそより良いものを得ることができます。」

苦労するということは罗一舟にとって当たり前のことである。彼は練習の過程、特にステージを準備する過程をとても楽しんでいる。「リハーサルの時、僕はとても心地良さを感じます。僕にとってはリラックスするひとつの方法なんです。」

もちろん彼は“愛”があるからこそ“苦労”に耐えられるのだということをしっかりと理解している。「やっぱり好きという気持ちや熱意が必要です。自分の好きなことを見つけたときは__それが勉強か仕事かに関わらず__必ずそれに集中するべきです。その時やっていることに集中し、余分な雑念を捨ててこそ、しっかりとやり遂げることができます。」

“好き”が“集中”を支え、“集中”が“やりぬく“動力になり、”やりぬく“意思があるからこそ苦労を乗り越えることができる。全ての20歳前後の若者にこうした覚悟があるわけではない。もっと言えばこのように悟ることのできる若者はほんの僅かだろう。罗一舟がこのように達観しているのは、彼が育ってきた環境が関係している。幼い頃に家を離れ集団生活を始め、最も厳しい条件の中で過酷な教育と訓練をうける_早すぎるとも言える独立が彼の自己管理能力を育てたのだ。

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「自分を制御できなくなったり、見失ったりしたことはありますか?」

「何かをする、ということに関しては一度もありません。」罗一舟は首を振った。

「僕にとって1番大切なことは心を明鏡止水のように保っておくことです。こうした心持ちは長寿の秘訣でもあります。」彼は冗談半分にこう付け足した後、とても真面目に「慌ただしいときは心を穏やかに保つ必要があります。人生山あり谷ありですから、自分が高みにいようと低地にいようと、平常心で向き合ってこそ着実に乗り越え進み、成長することができます。」

 

2.目標について

高級芸術から大衆芸術へと転向した罗一舟の選択には、疑問の声が向けられたこともあった。そしてそうしたコメントに彼は「どんなパフォーマンスもジャンルも、究極まで極めることができたらそれは芸術」という言葉を答えとしている。ステージに立てるならそれがどんな形の舞台であれ、彼は全力でパフォーマンスする。

彼はずっと舞台に対して畏敬の念を抱いている。「大小に関わらず全ての舞台を尊重すること。舞台表現という分野で、僕は永遠に前に進み続けます。もう十分なところまで来たからと満足してはいけないんです。」彼は同時にこうも付け足した「まだ究極には辿り着けていません、この目標まではまだまだ遠いです。」

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罗一舟は小さな目標をひとつひとつしっかりと成し遂げながら、1番大きな目標へと進んでいる。

この先の1番大きな目標に関して、彼は以前芸術教育家になることだと言っていた。「僕の学校には数多くの偉大な先輩方がいます。彼らは成功も名誉も手にしていますが、僕たち学生を指導するときにはなおも純粋で情熱をもっています。受け継がれたものを繋げていく、そんな感覚があるんです。彼らから指導を受けるたび、すごく励まされるし、自分自身も相応しい能力を身につけたときに同じように仕事にすることができたらと思います。」

罗一舟の認識として、教育家になるためにはまずしっかりとした芸術の基礎を身につけている必要があり、様々なジャンルを理解している必要がある。そして次に自分に対して1番厳しい基準で臨むこと。なぜなら芸術とは弛まぬ追求と探索の過程であるからだ。さらに最後、時間をかけて積み上げ蓄積された、芸術に対する教養があること。

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「もちろんこの目標までの距離はまだとても遠く、僕には学ばなければならないことが沢山あります。」

「では今の段階での目標は?」

「もっとたくさん質の良いステージをみせること」罗一舟は自信に溢れていた。「そしてもっと大きなステージを作り上げ、大きな舞台に立つことです!」

 

3.原動力について

夢を追い続ける彼を支えているのは好きという気持ちだけではない。彼の“支持者”たちだ。

「ファンからの愛を負担に感じることはあるか」という質問に答えるとき、罗一舟はさりげなく“ファン”という代名詞を避けた。彼はとても自然に“ファン”を“僕を支えてくれる人たち”と言い換え、「僕と僕を支えてくれる人たちは出逢いから一歩ずつ始まりました。彼女たちは僕がこの道を歩み始めたときから寄り添って一緒に進んできたんです。僕は僕たちの関係は対等なものだと思っていますし、これらの愛を負担に感じることもありません。」

“ファン”と“僕を支えてくれる人”には微妙な違いがある。前者は少なからずアイドルに対して“服従“の意味を持っているが、後者はそうした不平等を感じさせないのだ。

「僕を支えてくれる人たち、僕を好きでいてくれる人たちと僕は対等です。」罗一舟は繰り返して強調した。「僕がずっと思っているのは、僕たちはお互いに照らしあう存在だということ。その過程の中で彼女たちに認めてもらえたらいいと思うし、僕たちはお互い成長し、学び合う存在で、彼女たちは僕の原動力のひとつです。」

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支持者たちに対する1番のお返しは他ならぬ質の高いステージである。罗一舟は自らの努力を通じてより良いステージを届けられることを願っている。「僕のパフォーマンスや表現が何度も繰り返し吟味できるものであってほしいと思っています。」

罗一舟と多くの人が初めて出会ったステージ『凤霞』はまさにこの言葉を体現している。白いシャツを纏った彼は英姿颯爽と輝いていて、クラシックとモダンを組み合わせたこの作品でメンターと観客どちらからも好評を博した。彼のパフォーマンスはしっかりとした舞踊基礎と成熟したステージコントロール能力を存分に発揮したものだった。

『凤霞』は完全に罗一舟が主体となって創り上げた作品だ。選曲から振り付け、衣装に至るまで、各方面に彼自身が関わっている。柔らかな白シャツとクラス分け評価の『Tiger』の赤い制服は彼の印象に大きなギャップをもたらした。もっとも彼がこの衣装を選んだ理由は至極単純だ。「大事なのは踊り自体が表現する作品の本質なので、シンプルで上品な衣装の方が観客にしっかりと伝えることができると思ったからです。」

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罗一舟は観客にステレオタイプなゆったりとしたものとは一味違う、生き生きとした中国古典舞踊のステージを見せたかった。「古典舞踊は“文”と“武”ふたつの要素で成り立っています。僕はこれらのどちらもを兼ねた作品を創りたかったんです。“武”の部分では中国古典舞踊の持つ生命力を表現したいと思っていました。」

当然振り付けは音楽をもとに考えるため、罗一舟は大量の楽曲を聴きながら、彼の思うもっとも相応しいメロディを探し、最終的にミュージシャンGuzzが2016年に発売したアルバム『林中之象』からこの『凤霞』を見つけたのだ。

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「『林中之象』は若者の好みをうまく掴んだアルバムです。電子音とアジアの伝統的な音楽要素を綺麗に融合させています。その中でも『凤霞』は特別で、少数民族音楽の要素を持ちながら、現代音楽の技術を巧妙に組み合わせていました。」罗一舟は言う。「僕もこのような融合をさせたかったんです。優秀な先輩方のように民族の文化を生き生きと若者に届けて、彼らにもっとそれらを知って好きになってほしかったのであのような内容で初舞台を創りました。」

 

4.自然について

舞台上の罗一舟は『凤霞』の太鼓のリズムのように情熱的だが、プライベートの彼は静かで人見知りだ。口数が多いわけでもなく、言葉はとても簡潔だった。インタビュー開始から30分ほど経ち、旅行についての話題になってから、ようやく本当に打ち解けて話し始めた。彼は嬉々として自分の好きな自然に関する全てを列挙し始めた__彼の好きな小動物、洛阳で出会った鸚鵡(「収録の時はずっと連れていた」)。そして自然の風、これは彼がいつも扇子を持ち歩いている理由でもある。

話のついでに年代感のあるあのスニーカーについても聞いてみた。「実はあの靴は僕の私物ではないんです。」罗一舟はそう説明した。「番組のあるキャラクターのスタイリングで、丁度扇子を持っていたのですが雰囲気が合うなと思ったので...もっとも僕の扇子は文字が書いてあったので番組側が無地のものに変えてくれました。」

「扇子はまわすの?」

「いえ、涼むだけです。」罗一舟の答えは明快だった。

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罗一舟にとって、父親とバイクに乗りながら学校に向かう道が1番古い記憶だ。学校が長期休みになって家に帰ってくるたび、一家は寧夏の砂坡頭、浙江の雁蕩山、川蔵のカンゼなど、さまざまな場所へ旅行に行った。「ほかにも長白山、大興安嶺......中国の東北、西南、東南、全部行ったことがあります。」行ったことのある場所を語る時、彼からは淀みなく言葉がこぼれてくる。

”江南水鎮へ行って、山や水を眺め、気まぐれに散策する“これは彼が思ういちばん理想的な生活。

罗一舟の大自然に対する情熱は浪漫主義にも通じている。自然は魂の鏡であり、自由と無限の象徴なのだ。

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罗一舟にとって1番印象深いのは川蔵だ。以前蔵族の伝統舞踊を学ぶためにカンゼへ行ったのだという。「民族舞踊を学んでいた時、蔵族の伝統舞踊は重点のうちのひとつでした。この踊りの核心を掴むには必ず現地に行って、舞台をみたり風習や文化を体感して、彼らの感覚や状態を学ぶ必要があります。」

幼い罗一舟がカンゼの川のほとりから向こう岸を眺めた景色は、山全体が麓の灯りに照らされてまるでタンカ(唐卡)のようだった。信仰と自然の融合した様子は彼に大きな衝撃を与えたし、より深くこの踊りが伝えているものを理解するきっかけになったのだ。

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まだ行ったことのない場所で彼が最も行ってみたいのはウイグルだという。彼はイリに行き高原の風景を眺め、ウイグル族の文化を体験し、現地の郷土料理を味わいたいと言った。

「じゃあ行ったことのある場所でいちばん好きなのは?」

「これまでに挙げた場所はどこもまた何度でも行ってみたいと思ってます。」罗一舟にとってはこれは難しい問題だった。

最後、悩んだ末に彼が答えたのは「フルンベイルかな、フルンベイルの大草原です。」

「ヤク(牛の一種)を見たいって言っていた場所?」

「いえ、それは西藏で、フルンベイルは内モンゴルです。」罗一舟は丁寧に説明してくれた。「フルンベイルの郷土料理はとても美味しいですよ!食後には現地の遊牧民族とあたりを巡って、彼らが羊を放牧するのを見たり馬に乗ったりするのはとても気持ち良かったです。」

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「フルンベイルがいちばんなのはなぜ?」

「草原がとても大きくて広々としているから、とても自由で晴々とした気持ちになるんです。」罗一舟は身振りを交えながらそう言った。

「飛びたくなるような?」

「ええ。」

飛ぶ技能の習得も彼の計画の一つだという。「車の免許を取りに行った時飛行機を見かけて。指導教官に聞いたら操縦士の免許も取れると教えてくれたんです。飛行機の操縦もすごく興味深いし、勉強したいと思ってます。」

空を飛びたい人が本当につまらないなんてことはあるんだろうか?

 

5.罗一舟について

10時間後、ようやく全ての撮影が終わった。罗一舟はスタッフ全員にお辞儀をし感謝を述べたあと、飛び跳ねながら2階のメイクルームへと戻っていった。彼の足取りは軽快で後ろ姿からも仕事を終えた喜びが伝わってくるようだった__そしてその日いちばん“子供らしい“瞬間でもあった。

私服に着替え、一舟は手を振り私たちにさよならを言いながら、雨の降る夜の北京へと消え、次の予定へと向かった。

空を飛びたい罗一舟はついに”飛行者“になった。様々な都市を行き交いながら、舞台への渇望を胸にひとつひとつの仕事を丁寧にこなしている。幸いにも彼は大変な日々の中でも楽しみを見つけることの素晴らしさを知っているから、出来るだけ時間を見つけてその旅行の楽しみを探している。ただ、家族との旅行の計画だけは無期限の延期になってしまった。イリに行ける日が来るのはいつになるか分からない。

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「このような犠牲は値すると思う?」

「これは成長の過程で必ず経験するものでしょう。そばで寄り添うより、良い仕事をする__これは僕の家族たちが望んでいることでもありますし、僕自身も自分の努力を通じて彼らの誇りでありたいです。」罗一舟は迷いなくそう答えた。

彼の受け答えはずっと大人びている。

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“大人びている”という言葉は度々“面白みのない”とともに罗一舟に対する形容詞として使われる。この二つの言葉はある環境では否定的な意味合いを持つが、罗一舟には相応しい言葉でもある。なぜなら彼は大人びているが素朴であり、面白みはなくともとても誠実だから。

大人びた落ち着きは教養から、面白みのなさは“無欲”からきている。彼は自分の欲を全て仕事に費やしている。「舞台以外のものは簡単であればあるほどいいです。」自然と他者が思う“面白い”時間は少なくなった。しかしこの“面白みのなさ”こそが、彼の言葉の重みを際立たせているし、彼と彼の支持者たちが“同じ戦地に建つひとつの砦”のように、支え合いながら困難を乗り越え、彼のための舞台へと登るだろうと信じさせるのだ。

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罗一舟自身が自分についてどう思っているかということに関して言えば、彼はあまり興味を持っていないようだった。彼は逆に私たちにこう聞いた。「おそらく、同世代の人たちと比べると僕は大人びていると思われがちですが、僕の興味のあることに関してはとても好奇心旺盛です。これでも大人びてるって言うんでしょうか?」

これはとても良い質問だったが、私たちは答えなかったし、彼もその答えを求めてはいなかった。

罗一舟はどのような“罗一舟”になるべきなのか?彼の心の中にはちゃんと答えがある。

 

 

 

2021.8.20 yang(@xuxugecai) 

 

 

罗一舟 Wonderland新视线 インタビュー 日本語訳

 

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Wonderland新视线 7月号に掲載されたインタビューを日本語に訳しました。勉強中のため、意訳誤訳が含まれることをご了承ください。

 

 

 

様々な言論の中で、彼は港に泊まる一葉の小舟のように、自分の拠り所を守っている。その場所の名は「夢」。

 

 

「僕はとても恵まれていると思います。幼い頃からずっと僕の好きなことと両親の考えは基本的に一致していて、両親も僕が好きなことをやることを応援してくれていました。小学生の頃はダンスとテコンドーを習っていたので、学校のコンテストなどの比較的大きなイベントでステージに立つ機会を得ることができたんです。それらがステージとの出会いだと思います。当時は幼かったので夢というものがどういうものかも分かっていなくて、自分が踊ることや舞台に立つことがすごく好きだということだけがはっきりしていました。」

 

罗一舟は11歳の時に解放軍藝術学院に合格し、軍隊で6年の時間を過ごした。軍での訓練は彼の身に同世代の人とは違う落ち着きと自律という特性を与えた。

 

「軍隊での生活と練習生としての生活を比べて1番違うのは生活リズムです。そしてこれが1番慣れない部分でもあります。今は仕事と勉強を両立させなければなりませんが、それでも出来る限り規則正しい生活を送るようにしています。普段は軍にいた頃と同じように朝にトレーニングをするし、仕事がない限りは夜更かしをすることもありません。そして軍隊がこれらの良い習慣を身につけさせてくれたことに感謝しています。」
この話を聞いたとき思わずファンが彼につけた「小干部」というあだ名を思い浮かべた。この自律こそが彼が人生の大きな決断を下す時の冷静さや落ち着きに繋がっている。

 

軍隊を離れてから、罗一舟はその年の艺考を受け、中央戯劇学院と北京舞踏学院に優秀な成績で合格した。11年に渡り古典舞踊の研鑽を積みながら彼は中央戯劇学院に入学することを選び、演劇科の学生となった。
「おそらく多くの人が舞踏学院に行くだろうと思っていたと思います。それだけの時間学んでいましたから。でも中央戯劇学院の演劇科は艺考を受ける前から僕の目標で、第一希望であり、憧れの学校でした。」
文艺兵から演劇科の学生、そしてアーティストまで、罗一舟はその変化のために準備万端にして臨んでいる。
「俳優も歌手も、表現の仕方が違うだけで、どちらも本質は舞台上の表現者であると思っています。練習生として過ごした時間の中での1番強く感じたのは芸術は繋がっているということです。ステージ上での多くの表現方法は演技を学ぶなかで得たインスピレーションを活かしたものでした。また、俳優と歌手はどちらかしか出来ないというものでもなく、どちらも僕の夢のひとつです。なので僕は自分自身に枠を定めることをしないし、好きなことに対して挑戦や努力をやめることはありません。」
将来の計画に対して罗一舟はこう答えた。彼はどこかの領域に安住することなく、さらに多く成長できる空間を残そうとしている。

 

どんな人も自分の好きだと思うことに出会うが、全ての人がその好きを情熱に変えることができるわけではない。諦めないというのは昔から美徳とされているが、現代社会において多く目にできるものではない。理由は仕方なくかもしれないし、元々その気がないのかもしれないが。罗一舟は恵まれている。幸運にも幼い頃から自分の好きなことを見つけることができたし、大人になった今それは彼の夢であり目標となった。軍隊から学校、そして舞台へ、罗一舟は彼の経歴を持ってその幸運を無駄にしていないことを証明している。

 

厳しい軍隊での生活と練習生生活を経て、罗一舟はすでにプレッシャーのかかる環境に慣れており、余裕すら感じさせる。
「練習がきついからといって疲れやプレッシャーを感じることはありません。僕にとって歌もダンスもとても好きなことであり、今はどただひとつひとつのステージをもっと完璧にしたいと思っています。パフォーマンスや作品を通して自分の思想や感情を伝えたいし、ステージに立てる機会はひとつも無駄にしたくありません。」

 

21歳の少年は本来であれば言葉の中に僅かに傲慢さが透けていたり、燃えたぎった心を持っていたりするものだが、罗一舟は正反対である。落ち着いているという形容詞をこの年齢の男性に使うことに違和感を覚えるかもしれないが、カメラの前かどうかに関わらず、彼は操舵手のように、何かを争ったり奪ったりすることなく、焦らず休まず、自分の航路を落ち着いて航海している。カメラがある時、彼は我先にと自分の強みをアピールすることはないが、ライトが彼を照らした時には必ず全力で臨む。裏で流した汗は豊かな舞台を育てる恵みの雨であり、わずかな時間もだますことはできない。彼は舞台に仕えているようで、ひとつひとつのパフォーマンスが彼の答案だった。

 

ステージに立った罗一舟は多くの人に見つかったと同時に、様々なレッテルを貼られるようになった。様々な言論の中で、彼は港に泊まる一葉の小舟のように、自分の拠り所を守っている。その場所の名は「夢」。

 

「僕は自分自身が下すひとつひとつの判断やその時の状態にとても満足しています。どんな人でも困難にぶつかったり挫折を味わうことがありますが、僕は楽観的な人間で、そういった状況になった時には、落ち込んだり憂鬱に浸るのではなく、どうしたら問題を解決できるかを考えます。過去でも未来でもなく、現在を見つめて、目標に近づいていきたいです。他者からの肯定を得たい時には、まず自分の努力を認められるようにならなければなりません。」
言葉たちから感じられるのは、彼の落ち着きは表面的な大人しさではなく、物事に対応する時の心構えであるということ。どんなことにも全身全霊で向き合い、すでに変えることのできない過去も、未知の未来も目の前の現在には及ばないのだ。

 

「職業の性質上、学業と時間が重なることは避けられないのですが、出来る限り調整して、学業に支障が出ないようにしています。もし重要な試験や復習の期間とぶつかった場合には迷わず学業を選ぶでしょう。僕はアーティストである以前に学生であり、学生である以上学業が最優先事項です。」
これは30分近いインタビューの中で、彼が最も毅然と真剣に答えた言葉だ。

 

その日の撮影時間は10時間にも及び、舟、背景布、水瓶など、どのシーンも決して楽なものではなかった。しかし罗一舟はカメラマンのOKが出た後も積極的に予備のポージングを提案し、より良いものを目指していた。男の子としては彼は生真面目すぎるのかもしれないが、その真面目さこそが彼の素晴らしいステージに繋がっているし、私たちが目にした舞台裏の罗一舟_輝かない時には輝くための準備をしている_なのだ。

 

彼は最初から孤独に大海を彷徨うのではなく、大海が果てしなく広いことを知りながらも、帆をしっかりと張り目的地へと向かっている一葉の小舟。少年青雲の志を堕とさず。21歳の罗一舟はまだ出航したばかりだ。

 

 

 

 

 

2021.8.1 yang(@xuxugecai)

罗一舟 新京报 インタビュー 日本語訳

f:id:xuxugecai:20210525212444j:imagecr.Attention・罗一舟

2021年5月25日に公開された新京报のインタビューを日本語に訳しました。勉強中のため、意訳誤訳が含まれることをご了承ください。

元のインタビューはこちらから。罗一舟:我有时候爱操心,别人说像老干部丨对话

 

 


ずっと舞台から学んでいることは、たとえどんなアクシデントが発生してもパフォーマンスを最後までやり遂げる信念を持つことの大切さ。他の人が僕のことを老干部みたいって言うけど、それは彼らを見てると心配になっちゃうことがあるだけ...
 

 

罗一舟は幼少期を銀川で過ごし、その後北京にある北京舞踏学院、解放軍芸術学院に合格、軍芸を2016年に卒業し、文工団(音楽、演劇、歌舞などを行う軍の文芸組織)に一年従事。2018年、中央戯曲学院の演劇専攻に合格、現在在学中。彼はずっとダンス&ボーカルの形式でパフォーマンスすることの出来る舞台を求めていて、自分がその機会を逃さないことを願っているという。

 

初心:常に自分の好きなことに向かって道を探す

Q:現在中戯の演劇専攻に在学していますが、演技とダンスボーカルそれぞれにどのような感情を持っていますか?

A:どちらの表現方法もとても好きですし、夢中になれるものですが、それぞれに対する感覚は違います。
演技は一種の思考の体験で、演技を終えた後僕は自分の演じたシーンを見て、元々の基礎の上でさらに踏み込んだ思考をすることがメインです。僕はまだ大学3年で、これといった作品がある訳でもないし、深い見識がある訳でもないので、まだまだ勉強しなければいけないと思っています。そしてダンスボーカルには、感情表現に近くて、もっと直接的に自分を解放して表現するものです。この2つの感覚は違うけれど、どちらもとても素晴らしいものです。

 

Q:何かキーワードになる言葉でまとめると?

A:ダンスボーカルもまだその道に踏み込んだばかりなので、好きの次はすごく好きになります。演技も僕がずっとやりたかったことです。僕が欲張りすぎるのかもしれないけど、どちらも僕にとっては同じ位置にある大切なものです。

 

Q:いつはっきりと芸能の道に進むことを決めましたか?

A:実ははっきりと芸能界に進むと決めたり、自分にこうあるべきと課したことはないんです。子供の頃両親は僕が興味を持ったこと__ダンス、モデル、演技、司会など、僕が面白いと思ったことならなんでもやらせてくれました。その後進路を選ぶときも僕のやりたいように選ばせてくれたし、僕が好きなことをやるべきだと協力してくれました。ずっと自分の興味や好きなことに基づいて進む道を探すことができたのは、本当に幸せなことだと思います。そうしていくうちに次第に芸能界に近づいて、この世界に足を踏み入れていました。

 

舞台:自分は才能型ではない

Q:軍芸ではどのような舞台での経験を得ましたか?

A:舞台上での立ち位置、カメラとの感覚、道具や舞台美術との合わせ方、観客とのコミュニケーションの取り方、これらのことに関しては本当に多くの経験を得ました。あとは舞台上でアクシデントが起きた時にどのように対応するか__例えば、音を外してしまったら、とか。ずっと舞台から学んでいることは、たとえどんなアクシデントが発生してもパフォーマンスを最後までやり遂げる信念を持つことの大切さです。そのような状況に出会った時は、必ず大胆に、自信を持っていなければなりません。なぜなら、そのようなメンタルでなければその後のパフォーマンスで最も良い表現をすることは出来ないからです。もし動揺してしまったり、自信がなかったり、信念がなかったら、その舞台は不完全なものになってしまうでしょう。もう一つは、先生から言われたことですが、自信を持てば持つほど、観客は心地よく観賞することができるし、パフォーマンスに対する評価も上がるということです。

 

Q:自分のことをダンスボーカルの才能があると思いますか?

A:僕がダンスボーカルを学んだ時間がそこまで長くないので、才能型だと思われるかもしれませんが、自分では才能型だとは思っていません。声音や身体条件は生まれもったものですが、何か一つのことに対してしっかりと向き合う時は、それに対する好きや熱意をみる必要があるでしょう。もし努力をせずに才能だけで進めようとするのなら、僕は取り合う必要がないと思います。

 

Q:幼い頃から古典舞踊、中国舞踊などを学んできましたが、今進もうとしてるのはボーイズグループという方向ですよね、このような変化の中でどのように練習をしてきましたか?

A:MVを観るのがすごく好きなので、好きなグループのいろんなMVやライブ映像を観ました。まずは彼らのパフォーマンス中の状態や感覚をみて、実際の練習では基礎から。あの頃は時間も全然なかったんですけど、先生がレッスンの大半の時間をボーイズグループのダンスの基礎練習に当ててくれたので、身体がこういったダンスに慣れるようにひたすら反復練習をしていました。
 


Q:自分が有利だと思うことは?

A:小さい頃から踊ってきたので、リズムに対する感覚は敏感な方だと思います。リズムの区切り方とか音ハメの仕方とか、あとは振りを覚えるのも一部の人よりは速いでしょう。それぐらいです。必死で努力する人にたくさん出会いました、みんな同じで、僕が特に有利なことはありません。

 

自分:慎重で、人見知り

Q:以前インターネット上で、(空軍)パイロットになるのが夢だという情報を見かけましたが...

A:パイロットはすごくかっこいいと思うし、空軍は食事の質もいいんです。とても栄誉ある仕事だし、とてもかっこいいので、すごく尊敬しているし憧れです。しかもパイロットは絶対に身体能力が高くて、空にも陸にも行けるので、たしかにパイロットになるというのは夢のひとつです。

 

Q:プロフィールの趣味特技の欄のなかで、1番得意なことは95式ライフルの組み立て/分解ですか?

A:組み立て/分解を習った時、一回やると手に何箇所も傷ができて、気づけば10〜20箇所ぐらい傷ができてて絆創膏だらけになってたんですけど、痛いとは思わなくて、ただ楽しんでいました。元々男の子はこういうことが好きなことが多いでしょう?

 

Q:では軍芸のクラスの中で組み立て/分解は何位になれる実力でしたか?

 A:クラスの中ではそこそこ、1番でした。


Q:日常の中で他の趣味はありますか?余暇は何をしますか?

A:ロッククライミングが好きです。あとまだ免許を持っていないんですが、今試験を受けているところで、機会があれば家族と行き当たりばったりなドライブに出かけたいですね。余暇っていう余暇はあまりなくて、普段は授業を受けて、そのあとは自分で練習します。練習が終わったら週末は実家に帰って家族と過ごして、身体を休め調整してまた授業と練習の生活に戻ります。普段は結構活発で明るい方です、でも打ち解けるのに少し時間がかかったり、人見知りするのもあって、知らない先生や同級生に会った時はあまり多く喋るわけではないかもしれません。

 

Q:自分はどんな性格だと思いますか?

A:僕には楽しい時もあるし、冷静な時も、理知的な時も、闘志に満ちている時もあります。おそらく他の人が定義した方がいいでしょう、僕自身では自分を定義できませんから。

 

Q:他の人からはどんな性格だと言われますか?

A:老干部みたいだと言われます。ただ彼らを見てて心配になってしまうことがあって、もし自分がもっといい方法ややりやすい方法を知ってるんだったら教えてあげたいだけなんですが...そうすればみんな手っ取り早いでしょう?
 


目標:何かやるときには高い目標を定める

Q:集団に対する意識がとても強いように思います。

A:そうですね。11歳からずっと集団生活で育ってきているので、集団であったりチームだったりというものに対して情が湧きやすいし、誇りも持っています。自分自身チームの中にいることがすごく好きですし、団結力のある、チームワークの高いグループになったらいいなと思います。

 

Q:なにか自分で定めている目標はありますか?

A:小さい頃から何かをするなら出来るだけ完璧にしたいし、自分はそうあるべきだと思っています。高い目標を立てて、口だけにならないように、その目標に向かって全力を尽くす。そうすれば後悔することもなくなります。
  


Q:外の世界からの(マイナスな)意見に対して、どのようにメンタルをコントロールしていますか?

A:誠実な批判に対しては、必ず素直に受け入れます。真っ直ぐに受け入れて積極的に変わろうとしてこそより良い自分になることができるし、頑固に自分を押し通してもいい結果は得られませんから。でももしそれがアンチであった場合、本当に1ミリも気に留めないし、アンチによって影響を受けることもないので、メンタルをケアする必要もないです。

 

 

2021.5.25 yang(@xuxugecai)